わたしの黒歴史‐競馬場にて①‐

お題「わたしの黒歴史」

 

あれは僕が大学生の時だった。

さっぱり学校には行かなかった。いや部活には毎夕顔を出していたので講義に出なかったというのが正しいだろうか。

今考えれば何とももったいない話だ。いろいろな意味で。親にも申し訳ない。

まあ、それは今思えることで当時はそんな怠惰な生活が楽しかったのも事実だ。

 

日中は大学に行かないので基本ヒマである。時間はたくさんある。

お金もそれなりに仕送りなどをもらっていたのだが、しょーもないことにパカパカと使ってしまうのですぐなくなるわけだ。

 

気づいたら借金もできていた。結構な金額。いわゆるそういう金融機関からの。

本来学生は仕事をしてないので借りられない訳だが、学生であることを隠して申し込むと借りられた。そういう小細工だけは努力するのだった。

もっとも向こうもそこまで厳正な審査をしていた訳でもなく借りてくれればよいというスタンスだったのだろう。

双方ともにそのような風情だから成り立つ業界なのでしょうな、そもそも。

 

というわけで、学生の分際で結構な金額を借金していたわけだ。

当然安定した収入などないので返済ができなくなる訳で、毎月の金利を払うのもきつくなり、仕方ないので更に借りて返すという最悪の状況だった。

真綿で首をしめられるというのだろうか徐々に徐々に苦しくなってくる。

さすがに親にも言えないし精神的にずっともやもやが晴れない状態。

悲しいほどにアホだ。涙がちょちょぎれてくる。

 

そんな当時、僕が唯一希望を感じ一筋の光を見出せたのが競馬だ。

これまた典型的というか何というか・・アホだ。

でも、苦しくて冷静な判断ができなくなっているので、1点買いで万馬券当てたら100万円、一発で全額返済だ!などと考えてしまうものなのである。

 

また、少しだけそれっぽいことも起きたりするのがギャンブルなのだ。

事実、僕は1点買いで27倍を的中させ1レースで26万円勝ったときがあった。

あの時は不思議とついていて、というか冴えていたのか27倍ついた時も僕的にはこの2頭しかないだろうという鉄板レースのように思えたのだった。

あの時はしばらく好調の波が続いて翌週も10万円近く勝った。

その翌週も最終レースで取り戻し3万円位の勝ち。

 

当時よく行ってた居酒屋をくぐるのが月曜日の行事だった。

なにせマスターが「おっ!今世紀最大の馬券師!」とか「社長!」とか「大川慶次郎を超えるのはお前しかいない!」などと持ち上げてくれるのだった。

マスターにしたら他の店で金を使うくらいだったらウチで全部使わせようという考えだったのだろう。というか、ハッキリそう言ってたし。

しかし人間褒められると、それがリップサービスだと分かっていたとしても悪い気はしないものである。というか完全に僕は有頂天になっていた。

 

1点買い1万円で万馬券=100万円は確率的にそうないが、10万円で10倍オッズ=100万円ならはるかに有りそうである。

少ない友人たちにも少しだけご馳走をしたりして、でもそれ以上に散財はせず僕は勝負の時を待っていた。

タネ銭が無くなったら最後の勝負はできないからだ。

 

翌週僕は競馬場にいた。今日借金を完済するという決意を持って。

だがこの日はダメだった。ダメならダメでまるっきり見当違いならあきらめて引くこともできるのだが、性質の悪いのがカスリ続きである。

おおよそのレース展開や着順は合ってるのだが、結果がピシッと伴わないケース。

この日がまさにそうだった。

 

当時の僕は馬番連勝の1本槍だった。買った2頭が1-2着にくればよいやつだ。

そこそこオッズもついてそこそこ取りやすいと思っていたから。

だが、この日は1-3着とか2-3着とか1-4着とかのオンパレード。

15-16頭が走ってこの着順に来ているのだ。

予想の確からしさなら90点くらいの評価はもらえるのではないだろうか。

しかしギャンブルの世界では100点か0点しかないのである。

 

みるみるタネ銭は減っていく。まだ何がしかを残して帰れればよいのだが、のめりこむサガの悲しさよ。

最終レースに有り金すべてを投じた。が、こういう時はまず来ない。あえなく撃沈。

3週間に渡って続いた僕の春の夜の夢はついに幕を閉じたのだった。

 

第2部へ続く