私の黒歴史~競馬場にて⑥
その日、防犯カメラは怪しい男を捉えていた。
払戻し機の前を行きつ戻りつ、そして意を決したかのように機械の正面に向き合うと、男は馬券をおもむろに投入した。
数秒後、男はきびすを返して反転すると一目散に走り去りカメラの画面から姿を消した。
この日も全くダメだった。
カスリもしなければ惜しくも何ともない結果ばかり。
せめて、第4コーナーを抜けて最後の直線に入ったところまでは夢を見せてくれてもいいではないか。
早々の中盤でダメだこりゃというのばかり。
この16頭立てで1-2着を的中させるのは、もはや奇跡としか思えない。
そして、手元に残ったハズレ馬券をしげしげと見つめていて、ふと思ったのです。
第11レースの結果は最終レースの的中なのにな、と。
表面の11Rの印刷が12Rだったら当たっていたのに、と。
それで何となく、未練たらしく12Rの馬券の12Rを切り抜いて、11Rの上にペタッと貼ってみたのです。
そして、わーやったやった当たったどー、とか言って無邪気に喜んでいたのです。
そしたら次に、これを払戻し機に入れてみたら機械はいったいどういう反応をするのだろうと素朴な疑問が生まれました。
良く言えば、知的向上心または科学的探究心です。
当然、機械が間違えてお金をじゃらじゃらと払い戻す、なんてことは思ってません。
おそらく裏側に磁気情報も入ってるようだし、「プップー的中してません」とか言って戻ってくるんだろうなと思いました。
ただ、実際に投入したらどうなるんだろうというのを確かめてみたかっただけなんです。
それでも、やはり若干不正を働く緊張の面持ちになります。
少し逡巡した挙句に入れてみたのです。
プップーと戻ってきて、あーやっぱりそうだよな、と確認して納得したかっただけなのです。
しかし、そのペタンコした馬券を投入してみると、機械は僕が思っていたのとは違う反応をしました。
一瞬止まったのです。そして次の瞬間、見たことのない画面が出現しました。
確か、「近くの係員が来ますのでそのままお待ちください」的な文面だったと思います。
その瞬間、僕は我に返りました。
あーなんということをしてしまったのだ、俺は!!
これはシャレではすまん!!!
そして、脱兎のごとく逃げだしたのです。
絶対に捕まる訳にはいかない!
こんなバカなことで!!
お母ちゃんに申し訳ない!!!
そして、階段を3段ぬかしで駆け下りました。
地下鉄も待つのが怖くてひたすら走り続けました。
家に向かって。
もうどうやって帰ったのかも覚えてません。
10Kmくらいの道のりを僕は走って帰ったのでしょうか?
走ってる間は無心になれて幸せだったのかもしれません。
そして、家に帰るとふとんに潜り込みました。
心の中で泣きじゃくりながら。
何というアホなのでしょう。
僕は一応、法学部に在籍していました。
大学院に行ったわけでもないのに7年もです。
「法学部生、偽造馬券で逮捕!」こんな見出しが頭をよぎります。
俺はいい、自分がしたことだ。いくらアホすぎる行いとはいえ、自分が裁かれるのは仕方がない。
しかし、ここまで面倒を見てくれたお母ちゃんはどんな気持ちになるだろう。
何とバカなことをしてしまったのだ、俺は!
その日はイヤなことを忘れる為に泣きじゃくりながら酒を呑みまくりました。
そして翌日、バイトに行き居酒屋のマスターに昨日の一部始終を報告しました。
そうすると、マスターは誰かに電話をしました。
何でも昔の悪友だそうです。
僕がやってしまったことを、笑いをこらえながら話してます。
そして、こういう時どうなる?、と聞いてます。
電話を切ると、マスターは僕に言いました。
「アカン。お前はもう競馬場にもウインズにも行かない方がいい。機械に備え付けてあるカメラでお前の顔はスリットに抜かれているだろう。
だから次に競馬場に行ったら、後ろから肩をトントンと叩かれて お客さんちょっと来てもらえますか? となるだろう」と。
そういうわけで、僕は実にアッサリと、あれほど入れ込み続けた競馬からの引退を決意したのでした。
そしてこの後 僕に、このダメダメなすさんだ生活から足を洗わせてくれる転機が訪れたのでした。
第7部へ続く